興味深い歴史を持つルート「長田尾根」について

2020/10/28

富士山の雑学 富士山の名所

※このブログはアフィリエイト広告を利用しています。

富士山には「長田尾根(おさだおね)」と呼ばれるルートがあります。ただし一般向けのメジャールートではないので一般登山には向かない事をご了承ください。
場所は富士山の御殿場ルート八合目辺りからお鉢まわりコース朝日岳付近に出る尾根伝いのルートで、おもに冬季に山頂観測所の職員が交替勤務する際の行き来に利用されていました。
このルートの起源は、1958年(昭和33年)の2月に観測所職員の「長田輝雄さん(享年59歳)」が冬季登山中に御殿場ルート七合目付近で突風に飛ばされ岩に激突して殉職されてしまいます。
そして長田さんの死後に、このような事故が再び起こらないよう全国の気象庁職員からの有志の寄付により、御殿場ルート八合目付近の尾根から頂上に向かって長さ1100m程の尾根伝いの登山ルートが作られました。
この「長田尾根」ルート上には、突風が吹いたときにも飛ばされない様に体を確保する鉄柵が設置されていました。またルート上の所々に石組で造られたシェルターも設置され、いざという時には登山中の職員が避難できるようにもなっています。しかし現在は観測所は無人化され、このルートを使う職員も居なくなりました。
そして2009年には「長田尾根」から観測所へ続く鉄柵のうち、山頂直下の「馬ノ背」を残し撤去作業が始まりました。翌年の2010年には「馬ノ背」部分を残し完全撤去され、今は鉄柵を固定していたコンクリート基礎と切断された鉄柵が一部残るのみとなっています。御殿場ルートの八合目付近に位置する「長田尾根」の取り付きには「長田尾根登山路建設記念碑」が建立されていますので、御殿場ルートを利用する際は気にしてみてください。

話しは少しそれますが、実はこの鉄柵は冬季には観測所職員だけでなく、冬季富士登山をする多くの登山者も強風の際に身を守るために利用していました。
しかし2009年7月天候の荒れた時に、この鉄柵に起因する事故が起こってしまったのです。ホワイトアウトで視界不良になり剣ヶ峰から吉田口に戻る際に鉄柵伝いに移動を開始したものの、そのまま長田尾根に入ってしまい、道迷いの末に疲労と低体温により凍死にいたる事故です。
鉄柵の老朽化もあったと思いますが、このような事故が起こってしまう事の対策の一つとして鉄柵の撤去という結果に繋がったのだと思います。
せっかく有志により造られた鉄柵の撤去も含め、なんだか深い歴史のある道が失われつつあるのは淋しいですね。

【長田尾根 関連データ】
・長田尾根ルート:御殿場口登山道の八合目にある「長田尾根登山路建設記念碑」の石碑を目印にして、そこから尾根伝いに登りつめて行きます。

・石造りのシェルター:富士山八合目から火口縁までに5つあり、石に各番号が下のシェルターから順に1~5まで書かれていて、山頂に近づくにつれ造りが立派になる。
おおよその位置は以下のとおりです。
《1番シェルター:35°21'25.5"N 138°44'09.5"E》
《2番シェルター:35°21'28.9"N 138°44'06.2"E》
《3番シェルター:35°21'31.5"N 138°44'05.0"E》
《4番シェルター:35°21'34.9"N 138°44'03.1"E》
《5番シェルター:35°21'36.3"N 138°44'01.3"E》
《謎の石積:35°21'37.1"N 138°44'00.4"E》

・長田尾根登山路建設記念碑:長田尾根ルートの建設を記念して御殿場ルート8合目付近に建てられた石碑。
《場所:35°21'20.8"N 138°44'12.3"E》

・長田輝雄之供養塔:御殿場ルート7合目付近の登山道と下山道が合流点3015m付近に祀られている「長田輝雄 氏」の供養塔です。
《場所:35°21'14.7"N 138°44'43.3"E》


Translate

このブログ内を検索

ブログ アーカイブ

QooQ